2013年7月11日木曜日

シュリ・スワミ・ヴィシュワナンダ: 休みなくマントラを唱える

2013年5月末、グルデーヴはシュリ・ピタ・ニラヤの住人、シュプリンゲンの住民、
そしてセンターの訪問客全員に、あるマントラを1日12時間ずつ歌うように言います。
皆が交代で15分ずつ歌うのです。先週の火曜日のこと、夕方の祈祷の後、グルジが私達のいる寺院に来て
皆と一緒にこのマントラを歌い始めます。それは本当に素晴らしい、楽しい雰囲気で、
私達は小さなバラクリシュナが寝に行くまで歌い続けます。
(クリシュナは本当にパジャマを着せられてベットに寝かされます) 
グルジはマントラについて次のように話します。
私達は何故「バジャ・ニタイ・ガウランガ・ラデ・シャム・ジャパ・ハレ・クリシュナ・ハレ・ラム」
と歌うのでしょう?「バジャ・ニタイ・ガウル」の「バジャ」はここではセーヴァ、奉仕のことです。
これはお勤めを表しています。いわゆる身体を使ってのお勤めではなく、
バイブレーションによる世間への奉仕のことです。私達の目的は純なる愛に達することです。
あなた達が神様を愛していると心から言えるように。私がササングでも説明したように、
プレムと言われる聖なる愛に達するには幾つかの段階があります。
今彼等は繰り返し「聖なる名を唱えることによってこの段階に達する」と言っています。
では何故ガウランガと言うのでしょう? ガウランガはラダとクリシュナが一緒になったものです。
それで私達は「バジャ・ニタイ・ガウル」と歌います。ニタイとガウランガに仕えるということは、
ラダとクリシュナに仕えるということです。又「ジャパ・ハレ・クリシュナ・ハレ・ラム」
を歌うことによって、私達は同時にマハマントラ(大真言)も歌っていることになります。
ですからあなた達が歌って、プラブ・ニティアナンダの恩恵を授かると、
マハプラブご自身がお出でになるのです。何故かと言って、
ニティアナンダ・プラブが何か言うと、マハプラブはそれに逆らえないからです。
それはラダがクリシュナに何か言って、クリシュナが逆らえないのと同じです。
ですからラダラーニはクリシュナ自身より更に素晴らしいと言われているのです。
愛には三種類あります。私達が愛について話す時、あなた達はいつも
「あなたを愛している」と言います。あなた達は今までに一度でもクリシュナに、
あるいは神様にメールを書いたことがありますか? 「神様、私はあなたを愛しています。
あなたがいなくて、どんなに寂しい思いをしていることでしょう」
勿論そんなメールを送ったことはないでしょう。(ここで皆は笑わずにいられません。
何故と言って、日頃こういうメールを書いたことのない人はまずいないでしょうから
自分でも分かっているように、あなた達は皆に「私はあなたを愛している、私は
あなたを愛している、私はあなたを愛している」と言っています。神様がどんなに
あなた達を愛しているか想像してご覧なさい。それでもあなた達は神様を忘れています。
大抵あなた達は人間同士の愛情、恋愛関係、そういった長続きのしない物に関心を持ち、
それが終わってしまうと、又違う物に飛びついて行きます。不幸、
不幸、不幸、不幸、不幸、不幸、常に不幸! もし魂の目的が只愛を得ることだとしたら、
それは神様へのご奉仕を通して可能となります。「バジャ・ニタイ・ガウランガ・ラダ・
シャム・ジャパ・ハレ・クリシュナ・ハレ・ラム」を歌うこと、あなたが費やすこの
15分間は大きな奉仕です。全てはバイブレーションであり、全てが振動しています。
あなた達が集中して歌っている間は、神様がおいでです。つまりマントラがそれを呼び起こすのです。
全てを司っているのが神様であるのを知ること。あなた達の心を支配し、
あなた達の心の主は神様以外にいないということです。ギタにはこう書いてあります。
「あなた達が歌う名は全て私の物である。その姿は全て私の中にある。外にはない。
私の外には何もない」あなた達が何時でも目にする物に関しては「神様は外におられる」
と言うことが出来ます。ところが宇宙は全て神様の中にあります。それならばどうして
神様は外におられるのでしょう? 神様なくしてあなた達はここにはいられません。
神様なくして存在出来ないのです! 又宇宙の姿として、神様は全ての物の奥深くに存在しています。
神様は全ての物に存在すると同時に、私達は皆神様の広大無辺な身体の一部です。
あなた達が外部に見るのは、全てを捕え、私達を無知で取り囲んでしまうヨグ・マヤです。
ところでこれは神様のマヤでもあります。それは神様ご自身をも捕えてしまいます。
神様のマヤとはラダラーニのことです。ラダラーニは愛そのものなので、神様すら逃れることは出来ません。
「バジャ・ニタイ・ガウル」、おお主ニタイ様、 あなたは何とガウランガに身を捧げていることでしょう、
でも愛の顕現体に一体どうやって身を捧げたらよいのでしょう?それは私達の行う奉仕を通してです。
この愛を私達の中にも目覚めさせて下さい。私達をこのドラマの一部分にして下さい。
私達が世の為に行うこの貢献の一部分にして下さい。
その為にこの「バジャ・ニタイ・ガウル」はあるのです。
ナラダ・プランの中でクリシュナご自身がナラドゥ・ムニに言っています。
「誰でも大演説をすることが出来る。幾らでも話すことが出来る。
又幾らでも読むことが出来る。ところが心に愛がなければ、何にもならない」
大切なのはそれです。神様を愛することを学ぶのです。うわべだけでなく、心から。