私にとって聖母様は何か抽象的な存在です。どうしたらもっと彼女に近づくことが
出来るでしょうか? 又それに役立つ実習、儀式のような物がありますか?
スワミ・ヴィシュワナンダ: もしあなた達が聖母様に近づきたかったら、
まず彼女は何時でも子供の傍にいるということを知って下さい。あなた達が
それを信じて呼びかけると、彼女はすぐにやって来ます。もしあなた達が
儀式などをして聖母様を喜ばせようと思ったら、その種の物は沢山ありますが、
余り簡単ではありません。正確に習わないと出来ないからです。
でもあなた達がもし子供が母親を愛するように聖母様を愛せるのだったら、
それが一番簡単な方法です。彼女はあなた達の傍にいるのですから。
あなた達が神様に会いたいと思ったら、神様は一番簡単な物の中に見つかります。
あなた達が祈ったり、歌ったりすると、神様は近づいて来られます。
無駄なことはありません。あなた達が聖母様にお祈りすれば、聖母様は
来られるでしょう。聖母様があなた達にビジョンを望めば、あなた達は聖母様の
ビジョンを授かるでしょう。でもあなた達にはその準備が必要です。
知性にはその準備が必要なのです。あなた達は知性を制御しなければなりません。
目的がはっきりしていると、方向が定まります。あなた達が集中すれば、
それだけあなた達は強くなります。
あなたは何故ヒンドゥー教のヴァイシュナヴァとロシア正教を(宗教の)
系統として選んだのですか?
スワミ・ヴィシュワナンダ: ヴァイシュヴァナと正教の神秘主義は似ています。
私は他の人達と同様にヒンドゥー教徒として生れました。ヒンドゥー教は生れた時に
特別な儀式を行う必要がありません。ところが他の全ての宗教は、
それに属する為決まった儀式を行わなければなりません。
私達の心に愛を呼び覚ます謙虚さをどのように育てたらよいのでしょうか?
(この質問に対しては沢山の参加者が答えます)
スワミ・ヴィシュワナンダ: あなたが自分を忘れると、コスミック・ラブ
(神の愛) が目覚めます。そしてあなたの心はすっかり神様に捉えられてしまいます。
あなたは常に努力しなければいけないので、自分で出来ると信じているうちは
良いけれど、それが神様の業であることを忘れてはいけません。神様は全てです。
神様は何処にでも見出せます。
グルジ、聖書の言葉を実際にはどのように理解したらよいのでしょう? 例えば
「あなたが頬を打たれたら、もう片方の頬も差し出せ」という言葉があります。
スワミ・ヴィシュワナンダ: あなた達の務めは愛することです。相手が
愛していようがいまいが、それには関係なく。あなた達が愛していれば、
打たれようが、陰口を言われようが、何の関係もありません。あなた達は
只愛するのです。相手がくれる物にこだわらず、自分が与える物に気を
配りなさい。それがこの寓話の意味です。
グルジ、至福 (アナンダ)
は神々や悪魔を育てるのですか?
スワミ・ヴィシュワナンダ: 私達は至福状態にあると、その特質を超越します。
ということは至福は良いとか悪いとかの特質を超えて存在するのです。
至福状態には良きも悪しきも存在しません。良い物も良くない物も育ちません。
私達は良い物と良くない物を超越します。至福は特質ではなく、状態です。
質問は続いて、 不死身とは解放、救済のことですか?
スワミ・ヴィシュワナンダ: 違います。半神は不死身でも、
義務に結び付けられている限り、解放されません。それに反して人間は
上昇すると、不死身の魂を実現し、救済されます。あなた達は限界のある物質に
結び付けられているのではなく、神の中にあって自由です。不死身な者が
座って観察している一方、自由を得た者は神に達するのです。
スワミジ、「エホバの証人」について質問させて下さい。彼等は
エホバだけが一番正しく、他の者は皆サタンに取り憑かれていると
信じています。何が真実なのか言って下さい。
スワミ・ヴィシュワナンダ: 神様はそれを聞いて笑っています。神様は
「私は多くの形/姿の一つである。私の本質は全て形/姿を持っている」
と言っています。それは多くの本質を持った同じ神様です。もし神様に限界が
あるとしたら、それは神様ではありません。神様は皆の心に住んでいるの
でしょう?
それはどの神様なのでしょう?
ヒンドゥー教の、イスラム教の、キリスト教の …
愛の神様のことです。
全てが消えた後に残るのは愛だけです。知性が無知を失うと、神様が現れます。
人々が信じ、 批判しない限り、何を信じても構いません。するとあなた達は
人間的に向上するでしょう。宗教が来る前にまず人間であることです。
これは大変大切な事です。あなた達は人類に対する敬意の念、人間に
対する尊敬の気持を抱かなければなりません。知性の窓を開いて下さい。
すると初めて明らかになります。あなた達の両親にあなた達に対する尊敬の
気持がなくても構いません。でもあなた達が彼等を尊敬するのは
とても大切な事です。
何故神様はマヤを創造されたのですか?
スワミ・ヴィシュワナンダ: 神様はご自分の創造物を楽しむ為にマヤを
創られたのです。もし神様がマヤを創らなかったら、どのようにしてご自分の
創造物を楽しむことが出来るでしょうか?
スワミジ、「デジャヴュ体験」について説明していただけますか?
スワミ・ヴィシュワナンダ: それは夢想状態ではありません。あなた達が
寝ている間、あなた達の意識は旅に出て、その印象を写真に撮ります。
そして日常生活で何か起きると、それを前に経験したと思うことがあります。
知性は映写機と同じで、全てを撮影します。そして何処かで受けた印象を
後世で呼び出すことさえ出来ます。知性は思考をしまって置く倉庫で、
全て起きるままにさせておきます。ですからあなた達は頭の中の考えに気を
付けないといけません。
これがデジャビュ、 印象です。人間の意識に限界はなく、これを
食い止める壁もありません。
黄金時代が私達の地上ではなく、何処か別の世界で起きるということも
ありますか?
スワミ・ヴィシュワナンダ: いいえ、ここで起きます。ヨーギーはサト・
ユガを回転しているので、何処にでも神様を見ます。物質的な人間は
破滅を怖れてカリ・ユガに止まっています。でもあなた達は今ここで黄金時代を
創らなければなりません。
黄金時代が来るのを待っていたら、今世埋めた骨さえ形を失くしてしまうでしょう。
どうしたらサトグルに対する完全な服従と献身を育てることが出来ますか?
スワミ・ヴィシュワナンダ: この状態に達する為には、自分の意志を捨てなければ
なりません。人々はいつも献身についてあれこれ言いますが、言っているだけです。
献身したかったら、とにかく試してご覧なさい。
あなたは私達にインドのマントラ、バジャン、儀式、神様の色々な形/姿等を
教えています。私にはあなたの周りの人達がインドの服装をしているのが
目に付きます。
私達は神様を実現するのに、西洋にいるのにもかかわらず、
インド風の生活を装わなければいけないのですか? 教えて下さい。
スワミ・ヴィシュワナンダ: これは私達の目的に対するある種の尊敬の気持を
表しています。
インドの服装をすることが大切なのではなく、良い服装を
することが大切なのです。それはこの道での成長を助けるでしょう。
何処にでもそれぞれ服装の秩序があります。教会、海岸、等々というように…
私達はどのようにして死んで行く人にその準備をさせてあげたら良いの
でしょう?
その人達は自分から死について話すのですが、どの宗教にも属さず、
死んだら全ては終わると信じています。
スワミ・ヴィシュワナンダ: その人達にこう言ってあげなさい。「そう、
あなたは死ぬでしょう。そしてあなたは死ぬことを承諾しないと、
死んだ後も苦しみます。でもあなたが承諾すれば、道は開かれます」
魂は不死身であることを話して、死に対する怖れを取り除いてあげなさい。
誰が軍備競争をやめるでしょうか?
スワミ・ヴィシュワナンダ: 理解し合った時に終わるでしょう。