「サプチェ・ウンチェ」について
なぜグルジにとってこの歌がそれほど大切なのか?
このバジャンを歌う時、グルジは「サブセ・ウンチェ」(最高の祈りは?)と問いかけます。
それに応えて、私たちは「プレマ・サガイ」(愛が最高の祈り)と歌います。
このバジャンを書いたのは、クリシュナの一番弟子の一人、誰よりもクリシュナを愛した
盲目の詩人、スルダスです。
一番目の「ドゥリョーダナ・コ・メヴァ・ティヤゴ」ではアルジュナの従兄ドゥリョーダンが、クリシュナを豪華な食事に招待します。
でもクリシュナは、その食事には愛がこもっていないと断り、貧しいけれど、愛に満ちた叔父のヴィドゥラの家を訪問します。クリシュナが彼を訪ねたのは、主があなたの心にある愛だけを渇望しているからです。
二番目の「ジュテ・パラ・サバリ・ケ・カイェ」ではシュリ・ラーマが、一生涯彼を待ちわびていた、帰依者のサバリが、愛をこめて差し出す、野生の果物を美味しそうに食べます。ラーマはそれが愛する者と主の間の愛であると言い、他の者にはわからないと言います。
三番目の「ラジャスヤ・ヤジナ・ユディシュティラ・キノ」ではクリシュナがユディシュティラ王のヤグナが終わった後、自ら主であることを忘れ、人々に仕えて、お給仕をし、後片付けを手伝います。クリシュナはこのようにして、主とあなたの心の中の「主」との間に何の違いもないことを、また主があなたの心の中の「愛」と結ばれていることを示したのです。
四番目の「アイスィ・プリティ・パディヒ・ヴリンダーヴァナ」ではクリシュナはゴピたちと踊り、皆が彼を楽しめるように、一人ひとりに対して自分の方から境界線を取り除きます。彼は皆にそれほど大きな愛と謙遜を示されたのです。
五番目の「スラ・クルラ・イス・ラヤカ・ナヒ」ではスルダスがクリシュナに訊きます。「主よ、このような恩恵を受けるために、私は何をしたというのでしょう? そして私はどのようにしてこの恩恵を広げていけばいいのでしょう?」主は答えます。「愛するスルダスよ、愛しなさい!人は愛を通してのみ私に達することができるのだから」
グルジを知っている人にはわかると思います。上に述べたクリシュナとグルジの間には何の違いもありません。今すぐにわからない人でも、必ずわかるようになります。それが神様の愛です。
ただし日常の努力はしなければなりません。この努力なしには何ものも得ることはできません。
私のように背骨が曲がって、なめらかな呼吸をすることが困難になる前に始めてください。
グルジはギーターの第二章で、すべての努力は、その結果がどうであろうと、良いプンニャ(功績)となることを説いています。