4月24日と25日に、シュリー・ピータ・ニラヤにおいて、
数百人もの人々が、シュリ・スワミ・ヴィシュワナンダによる
2日連続のダルシャンの恩恵を受けました。
加えて、世界中でさらに多くの人々が
ダルシャンのライブストリーミングを見て
その祝福を受けることができたでしょう。
シュリ・スワミ・ヴィシュワナンダの比類なき愛と謙虚さを
私たちは再び目の当たりにすることができました。
両方のイベントの始めに椅子から立ち上がると、
彼の椅子へと至る階段に腰掛け、身を低くしてダルシャンを与えた下さったのです。
最初私たちは、始めに並んでいた子供たちのためにそうされたと思っていたのですが、
両日とも何時間もその姿勢のまま、座りづらいステップからダルシャンを与え続けたのです。
疑いの余地なく、誰もが人類への神の愛の美しさを、確かに経験できたことでしょう。
彼は天界の住処を離れ地球に化身し、人間の姿をまといました。
人々の間に交じり、彼らに奉仕することができるように・・・。
シュリ・スワミ・ヴィシュワナンダは
2日目のダルシャンの始めに短いスピーチをしてくれましたが、
その言葉を、彼はこの2日間のダルシャンにおいて実証して下さいました。
一部抜粋したものを紹介します。
-愛ゆえに、神は自分のことを忘れ、召使いとなります。
-人類への愛ゆえに、神は自分が神であることを忘れます。
そうして彼が私たちに近づけるように。
“ジェイ・グルデーヴ!
私がSabse Ūnchī(サブセー オゥーチー:最も偉大な祈りは何か?)と歌いますから、
あなたたちはPrema Sagāī(プレーマ サガイ:愛)と返して下さい。
プレーマ・サガイとは愛の関係を意味します。
なぜそれが最高の祈りの形態とされるのでしょうか?
なぜなら、あなたが祈る時あなたと神の間で関係が構築されます。
その関係ゆえに、あなたは自分が彼のものである、と言うことができます。
関係性がないと、つまりただ味気なく座って祈っているだけであれば
あなたに何か問題が生じて彼を思い出して祈っても
そこに何の関係があるでしょう?
関係など全くありませんね?
関係というのは築かれるものなのです。
神はあなたに自らを差し出します。
あなたも自らを捧げなくてはいけません。
では、どのようにして自分を捧げることができるのでしょうか?
あなたが内に持つ愛を通して、自分を捧げることができます。
彼があなたに愛を植えつけたのはそのためです。
あなたが彼との関係を築くために愛を与えたのであって、
人々との関係を築くためではありません。
2人の人間がお互いを愛している時、
彼らは何を愛していますか?
お互いに対する理解とか、交友とか、繋がりなどの関係ですよね?
魂も同じように、しかしより深い繋がりを神と持っています。
その繋がりは、あなたを高次の自己、ハイヤーセルフへと繋げています。
それはあなたが外側の世界で見る愛とは異なります。
それは崇高な愛、究極の愛、そしてあなたの内なる神です。
それがサガーイが意味するものです。
“私たちと神との関係”です。
私たちと彼との関係がまず第一、
その他の関係はすべて二の次なのです。”
“あなたが彼を呼ぶ時、誠実でなくてはなりません。
だから聖者たちは彼に対して叫び、切に求めたのです。
彼らのハートは彼のために燃えていたのです。
神はそれを求めています。
あなたが外へ出た時にはもう忘れている
味気ない"あなたを愛しています"ではいけません。
あなたがどこへ行こうとも、何をしようとも
全てが愛で満たされる、そのような愛を。
すべてのものに、すべての瞬間に、あなたは彼を感じることができるのです。
それが起きるためには、マインドから不純物がすべて取り除かれねばなりません。
マスタードの種にはオイルがあります。
そのオイルを採るためには、何をしなくてはいけませんか?
種をつぶさねくてはいけませんね。
そうしないと、オイルはあっても見ることができませんね?
しかし、その粒がつぶされ分離すると、くずが取り除かれ、オイルが手に入りますね。
マインドもこれと同じなのです。
マインドが過去に囚われているなら、ネガティヴィティーに囚われているなら
いかに神を感じることなどできるでしょうか?
いかに彼の愛を感じることができましょうか?
本当のあなたではない、すべての泥を、
マインドから取り除くことができたなら、
あなたはその愛を感じるでしょう。”
Rājasuya Yajna Yudhishthira Kīno
Tāmai Jūtha Uthāī
神は自分が神であることを忘れてしまう、と詠っています。
そのような愛がいかに強烈か想像がつきますか?
神が自分のことを忘れて召使いになってしまうバクティ(献身)とは
いったいどのようなバクティなのでしょう?
そして、これが神の美しさなのです。
人類への愛ゆえに、自分が神であることを忘れてしまうのです。
そうしてあなたに近づけるように。”