「あなたが何をしていようとも、あなたはそれを神のために行っています。あなたが神のために行っていないことなど、この世界には何一つありません。この世界に、祈りでないものなど存在しません。しかし、あなたがそれをする時の姿勢がとても重要です:全託の姿勢、愛、献身、忠誠の姿勢です。」シュリ・スワミ・ヴィシュワナンダ
この日は、ドゥルガーが悪魔マヒシャースラに勝利した日です。9夜10日の戦いでした。
ダシャラーと関連するもう1つの重要な出来事は、ラーマの魔王ラーヴァナに対する勝利です。ラーマはこの日に、妻シータをランカ王国へと誘拐したラーヴァナを殺したとされています。
イベントの名前:ダシャラー
この日は、ドゥルガーが悪魔マヒシャースラに勝利した日です。9夜10日の戦いでした。
ダシャラーと関連するもう1つの重要な出来事は、ラーマの魔王ラーヴァナに対する勝利です。ラーマはこの日に、妻シータをランカ王国へと誘拐したラーヴァナを殺したとされています。
ハイライト:
ナヴァラートリの九夜は、10日目のダシャラーの祝祭なしには完結しません。ダシャラーは、ハートのエゴに対する勝利を記念する日です。祝祭はナヴァラートリと同じように、グル・プージャ、ゴーリー・ガネーシャ・プージャ、9女神へのカラシュ・プージャからスタートしました。
屋外の地中に掘ったヤグナのクンドの前で行ったこのセレモニーは、シュリ・スワミ・ヴィシュワナンダシュリ・スワミ・ヴィシュワナンダがリードして行いました。寒く霧雨の降る中、大量の薪によって燃え盛る炎が、参加者を温めてくれました。
参加者たちが交互に入れ替わながら、マントラを唱え米粒を捧げ、全員が終わるまで続きました。ヤグナの後は、シュリ・スワミ・ヴィシュワナンダ自身へのアビシェーカムを行いました。シュリ・スワミ・ヴィシュワナンダは、マハーラクシュミーのムルティを抱えながら、巨大なアビシェーカムトレーの上に座り、カラシュの壷の水を全身に浴びました。
シュリ・スワミ・ヴィシュワナンダが乾いた服に着替え終わると、祭壇の前に行きアラティを行いました。グルジはこのイベントを、最後の祈りとダシャラーとナヴァラートリ全般に関する短い言葉で締めくくりました:
今日はダシャラーです。この最終日にて、マー・バガヴァティはすべてを吸収し、あなたを完全に浄化し、願いをすべて叶え、祝福を与えました。すべての賢人、聖者と同じように、彼女はあなたを救いにやってきて、祈りに耳を傾けます。
さあ、あなたたちは今お腹が空いて疲れきっているでしょう。ダルシャンを手早く受けて、トゥルシーダルを取りなさい。このトゥルシー・ダルはアルチャナを行ったお米です。トゥルシー・ダルはナヴァラートリの9日間の祝福、特にマハーラクシュミーの祝福が込められています。自分の金庫に入れておいても良いでしょう。お金持ちになります。財布に入れておけば、それはいつまでもお金でいっぱいになるでしょう。しかしそれはマー・バガヴァティ・ラクシュミーの祝福を運んでいます。ですから、あなたの商売も何もかも繁栄しますよう。
願わくば、あなたたち全員と来年も会えると良いです。マー・バガヴァティがあなたたち皆を健康、賢明に保ちますように。そしてあなたの願うすべてを、マー・バガヴァティ・デーヴィー・ジャガダンバーが叶えて下さいますように。そしてこの祝福、マントラにもあるように、今あなたが受けた祝福を、世界に戻る時に持って行きなさい。自分のためにとっておくものではありません。私が前に言ったように、愛はあなたが自分だけのために、しまっておけるものではないのです。祝福も同じです。どこへ行こうとも、どの国にいようとも、あなたについてきます。私たちが最後に唱えたマントラが、あなたを祝福しました。あなたがどこの国から来た人であろうと、祝福はその国まで行くという意味でした。
それが、私たちが「ローカー サマスター スキノー バヴァントゥ(Loka Samasta Sukhino Bhavantu)」と唱える理由です。分けて祈るようなことはしません。「平安なマインドを私にだけ下さい」とか「自分だけ平安になって、他人にはあげないで」とは言いません。決して言いません。私たちは「ローカー サマスター スキノー バヴァントゥ」と言うのです。私たちはこの世界を生きているのですよね?私たちはこの世界の一部ですから、第一に私たちが幸せであれば、私たちは他の誰かを幸せにできます。それでも私たちは世界中が幸せであるように祈ります。わがままに自分たちのことだけを考えることはしません。世界全体が幸せであるように、そして世界全体が平和であるように祈ります。
しかし、そのためには、私たちが平和でないといけません。自分たちが平和な状態でないのに、外側に平和を祈ることなどできません。「神が世界にたくさんの愛を授けて下さいますように。」などとは祈ることはできません。神は常に世界に愛を注いでいます。神は永遠に、世界に愛を与えています。しかし人間はそれを見ていません。それを感じていません。いろいろなことで忙しすぎるからです。自分のマインド、外側のこと、パソコン、会社、お金・・・あれそれ。忙しすぎて、人生の美が目の前を通り過ぎても見えません。恩寵が通っても、気づかないのです。
なぜなら、彼らは恩寵が“ドカーン”と、まるで神のお告げのようにしてやってくると期待しているからです。違いませんか?それが人のマインドの内側ですよね?まるで神がモーゼに話した時のように、神がやってきて「汝に私の姿をみせよう」などと言うのです。いいえ、そうではありません。モーゼのような偉大なヨギには、ええ、そうです。しかし、普通の人のもとへは彼は毎日やってきています。しかし、大抵あなたは世界のことで忙しすぎて、それに気づかず、それが見えず、その機会を台無しにしてしまいます。
そしてそれが、あなたがマー・バガヴァティへ祈らなくてはいけないことです。それがアートマ・クリヤ・ヨーガが意味するものですね?人生で一歩踏み出す度、あなたは神に会っていることを、あなたに思い出させること、気づかせることです。何であれあなたがしていることは、神のために行っています。あなたが神のために行っていないことなど、世界に1つもありません。この世界に祈りでないものなどありません。しかしあなたがそれをする時の姿勢が大切です。全託の姿勢、愛、献身、忠誠の姿勢です。この姿勢があなたの内にあるなら、あなたが世界ですることは何であれ、祈りとなります。それが私たちが「ローカー サマスター スキノー バヴァントゥ」と祈る理由です。あなた方一人ひとりを含む、すべてが幸せであるようにと祈る理由です。
さて、マー・バガヴァティへ祈りを捧げるため、9日間もあなた方全員と一緒にいれて幸せでした。私には熱意が見えます。私があなた方全員を見ていて本当に感謝したいのは、(私の叔母たちも言っていましたが)、私たちは、毎日祈りを捧げる中で、こうしてここに来ていることです。モーリシャスでもすべての寺院で9日間の祈りがありますが、あなた方が持っているような献身は、彼らにはありません。それが、神を本当に切望する者へ、神は姿を現すと言われる理由です。
ですから、霊性の道を歩み続けなさい。マー・バガヴァティがあなたに強さ、パワーを与え、あなたを支援し、あなたを運んでくれるでしょう。彼女に全託するすべての人を彼女が抱えているのと同じように。-シュリ・スワミ・ヴィシュワナンダ
証言:
次に紹介するリシ・プラモッドの話は、シュリ・スワミ・ヴィシュワナンダの祝福は、シュリー・ピータ・ニラヤにいる帰依者だけのためではなく、世界中にいる帰依者のためのものでもあることを教えてくれます。神を讃え愛するすべての人を、彼は祝福します。
「今日のナヴァラートリの最後の祈りの後、私たちは再びプラサードを食べました。その甘さは肉体だけでなく、魂も満たしてくれます。
この特別な機会において、ケニヤの兄弟であるラケーシュを通じて、私たちが特別な祝福を受けました。
彼はケニヤの寺院で毎日自然に発生するヴィブーティと、同寺院にあるグルジのペンダントから絶えず湧き出るアムリタを持参してくれました。
9夜10日に渡るグルジと母なる女神の存在感が、祈り、バジャン、素晴らしき帰依者のサンガ(集い)、そしてプラサードと相まって、私たちは文字通りの不滅の神酒を経験し、授かりました。
サットグルに栄光あれ、母なる女神に栄光あれ、集う帰依者たちへ栄光あれ」-リシ・プラモッド
---
シュリ・クリパーネーシュワルナート・マンディル建設募金のお願い
http://vishwananda-japan.blogspot.jp/2015/09/blog-post_27.html
参加者たちが交互に入れ替わながら、マントラを唱え米粒を捧げ、全員が終わるまで続きました。ヤグナの後は、シュリ・スワミ・ヴィシュワナンダ自身へのアビシェーカムを行いました。シュリ・スワミ・ヴィシュワナンダは、マハーラクシュミーのムルティを抱えながら、巨大なアビシェーカムトレーの上に座り、カラシュの壷の水を全身に浴びました。
シュリ・スワミ・ヴィシュワナンダが乾いた服に着替え終わると、祭壇の前に行きアラティを行いました。グルジはこのイベントを、最後の祈りとダシャラーとナヴァラートリ全般に関する短い言葉で締めくくりました:
今日はダシャラーです。この最終日にて、マー・バガヴァティはすべてを吸収し、あなたを完全に浄化し、願いをすべて叶え、祝福を与えました。すべての賢人、聖者と同じように、彼女はあなたを救いにやってきて、祈りに耳を傾けます。
さあ、あなたたちは今お腹が空いて疲れきっているでしょう。ダルシャンを手早く受けて、トゥルシーダルを取りなさい。このトゥルシー・ダルはアルチャナを行ったお米です。トゥルシー・ダルはナヴァラートリの9日間の祝福、特にマハーラクシュミーの祝福が込められています。自分の金庫に入れておいても良いでしょう。お金持ちになります。財布に入れておけば、それはいつまでもお金でいっぱいになるでしょう。しかしそれはマー・バガヴァティ・ラクシュミーの祝福を運んでいます。ですから、あなたの商売も何もかも繁栄しますよう。
願わくば、あなたたち全員と来年も会えると良いです。マー・バガヴァティがあなたたち皆を健康、賢明に保ちますように。そしてあなたの願うすべてを、マー・バガヴァティ・デーヴィー・ジャガダンバーが叶えて下さいますように。そしてこの祝福、マントラにもあるように、今あなたが受けた祝福を、世界に戻る時に持って行きなさい。自分のためにとっておくものではありません。私が前に言ったように、愛はあなたが自分だけのために、しまっておけるものではないのです。祝福も同じです。どこへ行こうとも、どの国にいようとも、あなたについてきます。私たちが最後に唱えたマントラが、あなたを祝福しました。あなたがどこの国から来た人であろうと、祝福はその国まで行くという意味でした。
それが、私たちが「ローカー サマスター スキノー バヴァントゥ(Loka Samasta Sukhino Bhavantu)」と唱える理由です。分けて祈るようなことはしません。「平安なマインドを私にだけ下さい」とか「自分だけ平安になって、他人にはあげないで」とは言いません。決して言いません。私たちは「ローカー サマスター スキノー バヴァントゥ」と言うのです。私たちはこの世界を生きているのですよね?私たちはこの世界の一部ですから、第一に私たちが幸せであれば、私たちは他の誰かを幸せにできます。それでも私たちは世界中が幸せであるように祈ります。わがままに自分たちのことだけを考えることはしません。世界全体が幸せであるように、そして世界全体が平和であるように祈ります。
しかし、そのためには、私たちが平和でないといけません。自分たちが平和な状態でないのに、外側に平和を祈ることなどできません。「神が世界にたくさんの愛を授けて下さいますように。」などとは祈ることはできません。神は常に世界に愛を注いでいます。神は永遠に、世界に愛を与えています。しかし人間はそれを見ていません。それを感じていません。いろいろなことで忙しすぎるからです。自分のマインド、外側のこと、パソコン、会社、お金・・・あれそれ。忙しすぎて、人生の美が目の前を通り過ぎても見えません。恩寵が通っても、気づかないのです。
なぜなら、彼らは恩寵が“ドカーン”と、まるで神のお告げのようにしてやってくると期待しているからです。違いませんか?それが人のマインドの内側ですよね?まるで神がモーゼに話した時のように、神がやってきて「汝に私の姿をみせよう」などと言うのです。いいえ、そうではありません。モーゼのような偉大なヨギには、ええ、そうです。しかし、普通の人のもとへは彼は毎日やってきています。しかし、大抵あなたは世界のことで忙しすぎて、それに気づかず、それが見えず、その機会を台無しにしてしまいます。
そしてそれが、あなたがマー・バガヴァティへ祈らなくてはいけないことです。それがアートマ・クリヤ・ヨーガが意味するものですね?人生で一歩踏み出す度、あなたは神に会っていることを、あなたに思い出させること、気づかせることです。何であれあなたがしていることは、神のために行っています。あなたが神のために行っていないことなど、世界に1つもありません。この世界に祈りでないものなどありません。しかしあなたがそれをする時の姿勢が大切です。全託の姿勢、愛、献身、忠誠の姿勢です。この姿勢があなたの内にあるなら、あなたが世界ですることは何であれ、祈りとなります。それが私たちが「ローカー サマスター スキノー バヴァントゥ」と祈る理由です。あなた方一人ひとりを含む、すべてが幸せであるようにと祈る理由です。
さて、マー・バガヴァティへ祈りを捧げるため、9日間もあなた方全員と一緒にいれて幸せでした。私には熱意が見えます。私があなた方全員を見ていて本当に感謝したいのは、(私の叔母たちも言っていましたが)、私たちは、毎日祈りを捧げる中で、こうしてここに来ていることです。モーリシャスでもすべての寺院で9日間の祈りがありますが、あなた方が持っているような献身は、彼らにはありません。それが、神を本当に切望する者へ、神は姿を現すと言われる理由です。
ですから、霊性の道を歩み続けなさい。マー・バガヴァティがあなたに強さ、パワーを与え、あなたを支援し、あなたを運んでくれるでしょう。彼女に全託するすべての人を彼女が抱えているのと同じように。-シュリ・スワミ・ヴィシュワナンダ
次に紹介するリシ・プラモッドの話は、シュリ・スワミ・ヴィシュワナンダの祝福は、シュリー・ピータ・ニラヤにいる帰依者だけのためではなく、世界中にいる帰依者のためのものでもあることを教えてくれます。神を讃え愛するすべての人を、彼は祝福します。
「今日のナヴァラートリの最後の祈りの後、私たちは再びプラサードを食べました。その甘さは肉体だけでなく、魂も満たしてくれます。
この特別な機会において、ケニヤの兄弟であるラケーシュを通じて、私たちが特別な祝福を受けました。
彼はケニヤの寺院で毎日自然に発生するヴィブーティと、同寺院にあるグルジのペンダントから絶えず湧き出るアムリタを持参してくれました。
9夜10日に渡るグルジと母なる女神の存在感が、祈り、バジャン、素晴らしき帰依者のサンガ(集い)、そしてプラサードと相まって、私たちは文字通りの不滅の神酒を経験し、授かりました。
サットグルに栄光あれ、母なる女神に栄光あれ、集う帰依者たちへ栄光あれ」-リシ・プラモッド
---
シュリ・クリパーネーシュワルナート・マンディル建設募金のお願い
http://vishwananda-japan.blogspot.jp/2015/09/blog-post_27.html