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2018年6月11日月曜日

Jubilee of Love ビデオ5


パラマハンサ・ヴィシュワナンダ インタビュービデオ5
「Prana Pratishta(神像に命を吹き込むこと)の意味」



〈 主な内容 〉
ヒンドゥーの伝統では、Prana Pratishta は神像に命を吹き込むことを意味します。それは、あなたの内側に存在する主に対し、その慈悲によって自らを外側にも顕現させてくださるようにお願いする、素晴らしい神秘です! 私たちが主を感じるというだけでなく、それを他の人と分かち合うという恩寵です。
神様は、彫像として姿を与えてくださいましたが、それだけでは十分でなく、神像は生きていなければなりません。生きていなければ、それは、ただの彫刻です。神像は、彫像ではなく、神様ご自身なのです。

ミケランジェロがバチカンで「ピエタ」を製作した時、「私は、石の内側にピエタを見て、それを取り出しただけです」と言っています。もちろん、そのようなビジョンは、誰もが見ることが出来るわけではありません。

神様は、長期的なプランに基づいて自らの化身を現しますので、その石が特別であるというだけではありません。彫像を製作する人に聞けば、どれだけ石が割れやすいかがわかるでしょう。石が割れてしまったら、神様の意思に従って、再び最初から彫り始めなければなりません。石が神像になるまでの全体のプロセスの中で、自分自身を変容させ、ハートの純粋さを神像に移すことで、神像に命が宿るのです。

神様には、マントラを使って呼びかけます。マントラは、ただの言葉ではなく、高い波動を持っており、すべての元素に働きかけます。
私たちは、数日間でPrana Pratishtaを行いますが、まずは、真っ白なミルクを注ぎかけて石を浄化することから始めます。 それから、毎日違うことを行って、地球から命が誕生するまでのプロセスをたどり、最終日に開眼し、主に顕現していただきます。

さて、ヴリンダーヴァンの聖者の話を紹介しましょう。すべて儀式が執り行われ、すべてのマントラが唱えられて、誰もが神像にひれ伏しましたが、その聖者はひれ伏すことを拒否しました。なぜかと言えば、「まだ、主が顕現していない」からです。彼は、神像の鼻孔の前に綿を持っていって、それが動かないことを皆に見せました。彼が祈りを捧げると、Takurji(クリシュナ神)が神像に入り、その瞬間に彼は、神像にひれ伏しました。改めて、綿を鼻孔に持っていくと、今度は、息で綿が動きました。

このように、神像は、ただの彫刻ではなく、バガヴァンそのものなのです。